人生を語らず(134) 滅びの美学

 

 

 

 

 

映画 「麻雀放浪記」の1シーン

 

近頃またぞろ麻雀などというヤクザな遊びに興じている僕です。ここ5年は自ら封じていたのですが、ひょんなことから卓を囲んだのがいけない。かつて20~30代の頃はマージャンキッドなどと名乗り、自他ともに認める博打打ちだったのですが、その血が騒ぎ出してしまいました。と言っても2回ほど卓を囲んだだけなのです。

たかが2回の麻雀なのですが、気がついたことがあります。かつてはいかに勝つか、そればかりを考えてギラギラした麻雀だったのですが、久しぶりに打った麻雀では、まあ、負けないように、負けてもそれでみんなと連れ立って飲んだと思えばいいじゃないのと、なんと言いますか、勝負に対する思い入れが全く違うわけです。気負いというものがないんです。

これは歳のせいなのか、人生観の変化なのか、たぶん両方なのでしょう。店の経営もこれに通じたところがあります。「こんな店、お客さんが入るわけもない。まあ、3ヵ月やったら、撤退~」と最初に決めていました。だからなんの気負いもなく、淡々とやって来れたのだと思います。

まあ、退場するときは、いかに潔く撤収するか、そこに滅びの美学を感じてしまう僕です。いかに勝つかではなく、いかに負けるか、そこに男のロマンを感じてしまう僕はマゾなのでしょうか? 成功談はいらない。失敗のドラマを見せてくれ。

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