人生を語らず(200) 教訓Ⅲ

業者を呼んで庭の木を切った。杉の木4本、松の木1本。これらの木は近隣に多大な迷惑をかけてきた。クレームも2度や3度ではない。伸びた枝が隣りの家の窓にまとわりつき、あるいは夥しい葉っぱを撒き散らす。

昭和の香り満載のこの家を買ったのは7年前。これらの他に梅の木が1本 (これだけは残した。桜に負けず劣らずの花を咲かせるし、第一、梅の実は梅干しや梅酒を作る楽しみがあるではないか) 都合6本の木と大きな石が7個、それから前住人の奥さんの趣味らしい彩りの花々やハーブが植えられたミニ庭園付きの家。その頃は、自然に囲まれ、自然を愛でて穏やかに余生をすごそうと思っていたのだ。

今になれば糞の役にも立たない観賞用の庭なとではなく、ネギやトマトやきゅうりの家庭菜園のほうがどれほど家計の助けになったことか。

ペットは言わずもがなであるが、植物であっても手入れは大変だ。ズボラな人間がうかつに手をだすものではない。とにかく見ているだけで忌々しくなって、熟考もせず、思い立ったが吉日とばかり翌日には業者に依頼した。

うっとうしい木がなくなると、心まで軽くなったような気分。我が家の陽当たりがこんなによかったのかと嬉しくなり、二階の窓からは菅平の山々が見渡せる。

所有物は少なければ少ないほどいい、というのが、最近の僕の哲学。所有物に埋もれ身動きが取れなくなり、心のどこか片隅に宿ったフラストレーションがやがて大きなストレスに変わっていく。この木、なんとかしたいな。庭を見るたび思っていたわだかまりを今回断ちきった。僕の人生が新たな展開をしてくれることを願う。