マスターの独り言(20)将棋の時代

 将棋の手ほどきは、5歳上の兄から受けました。小学校の1年か2年の頃だったと思います。まぁ、暇つぶしの相手にでもなれば、とそんな程度のことだったと思います。それから3,4年して、じいさんの好きなNHKの将棋番組を一緒に見ていたときのことです。当時は大山康晴氏全盛時代で対戦相手は新進気鋭の山田道美氏でした。この対局は将棋の分からない子供の僕にも充分、インパクトがありました。解説を聞きながら、「なるほど、将棋というのはこういうふうに考えるのか」と思ったような・・・。ちょうどその頃、『少年サンデー』に貝塚ひろし氏の『あばれ王将』が連載されていて、僕の将棋熱は一気に高まりました。で、強かったのかと言うと、これがからきしダメなんですね。クラスに頭のいい中村というのがいて 「中村流角ゾウリ」とか言うわけの分からない戦法にいつもやられていました。王様を囲った形がなにやらゾウリのように見えるとか・・・。

 時は過ぎ、30歳を越えた頃、将棋にまたぞろうずくものを感じ始めました。と言って将棋道場へ通う度胸はなく、もっぱら『将棋世界』という将棋連盟発行の雑誌を買っては 「段位認定試験」 にせっせと応募したという次第。この試験は、獲得した点数が基準に達しさえすれば初段位を認定してくれるというもので、根気さえあれば誰でも初段になれる。およそ実戦の力を反映するものではないのですが、一応、僕はアマチュア初段です!

 ある日、町の文化祭で将棋大会に出てほしいと頼まれ、まんざら悪い気もせず、ノコノコと出かけたのですが、20分もしないうちに 「負けました、投了です」 でした。性懲りもなく翌年も参加したのですが、なんと同じ対戦相手。今度は10分もたずに投了です。さすがに翌年は声がかからず、僕もあれきり指していません。どうやら将棋のセンスは全くないようです。そういえば拓郎も将棋が好きなんですね。『伽草子』のシングル盤のジャッケットは将棋を指す拓郎です。なんでも陽水よりは強かったとか・・・。

 ところで打倒大山康晴の急先鋒だった山田道美氏は37歳の若さで急逝しました。1970年のことです。僕の心に今も残るまさに悲運の大棋士です。合掌。