旅日記(5) 番外編・愛と死をみつめて

 『愛と死をみつめて』。不治の病いに冒された大島みち子さんと河野実さんの往復書簡集。140万部の大ベストセラーとなり吉永小百合と浜田光夫の日活黄金コンビで映画化。青山和子の歌はレコード大賞を受賞、一大純愛ブームを巻き起こした。

 大学の卒業式を終え、仲間と最後の盃を酌み交わした後、僕は一路、兵庫県は西脇市をめざしました。そこに大島みち子さんの生家があるからです。彼女が生まれ育ったふるさとをどうしても見ておきたかった、そしてお墓参りだけはしたかったのです。と言って生家の在処を知っているわけはなく、手がかりはただ西脇市というだけです。しかし、「思い」というものは通じるものなのですねぇ。どこをどう歩いたのか、お墓にたどり着くことが出来ました。一度、町にもどり花を買って再びお墓へ。僕はとうとう思いを遂げたのです。その日は近くの旅館に泊まりました。

 翌朝。帰る前にもう一度お墓参りをしようと歩いていると、「どこから来た?」 と年輩の方から声をかけられました。 「長野県です」 「じゃあ、河野さんのお知り合いかね」 「いえ、『愛と死をみつめて』 に感動した者です」 「そうかね、最近じゃ、珍しい」 (そうだよね、あのブームは1964年、僕が小学校1年の頃のことで、僕が行ったのは大学卒業の1980年ですからね) 「畑にお父さんがいるから、せっかく来たんだ、会っていけばいい」 と言って畑まで案内してくれました。 「大島さん、お客さん連れてきた」。

 大島忠次さんは温厚な人でした。「君かい、昨日、みち子の墓に花を供えてくれたのは。そうですか、ありがとうございます」 しばらく歓談した後、「お昼、まだ食べてないならウチで食べようか。あいにく家内は四国巡礼に行っていて留守だけど、あり合わせのものでよければ私が作るから」。家に着くとお父さんは早速食事の用意に取り掛かりました。 「みち子の部屋は当時のままなんですよ」 そんな言葉を聞きながら、ここで大島みち子さんは育ったんだな、と思うとまさに感無量でした。食事が済むとお父さんは 「ここまで来たら、姫路城は見て行かなきゃね」と言って、軽トラックに僕を乗せ姫路城まで案内してくれるのでした。

 『愛と死をみつめて』を訪ねる旅、番外編でした。随分、古い話しで恐縮です。