ある日の拓郎ageの情景(1)

 ライブが目前なのでベース担当のストーン氏はこのところ連日やって来る。ストーン氏は電気関係の技術者。今日も我々が店に着くより先に来て、入り口で何やらゴソゴソと動き回っている。入り口の上にある店名板の照明が点かないので直してくれるのだと言う。ストーン氏はこういうところ、とてもコマメなのだ。

 3人で練習を始めてほどなく2人連れのお客さんが入ってきた。新しい顔だ。そういう場合、僕は必ず言うことにしている。「ここは70年代フォークの店ですがよろしいですか?」するとお客さんが答えた。「ホームページで調べてきたよ。長野にもこんな店、あったんだね」 お客さんがそう言ってくれると僕は安心する。時にはカラオケスナックと間違えて「なんだこの店は」と言う人もいらっしゃるからだ。 ストーン氏がステージに上がり場をなごませてくれる。本来マスターがやるべきところをこの人は先回りしてくれる。ホント、気が利くのだ。しばらくすると「私にも1曲、歌わせてください」と一人の方がステージに歩み始めた。「ホ~ラおいでなすった。血が騒いだな」と僕は思った。聴いたことのないブルース調の歌。訊けばオリジナルだという。素晴らしい曲。さあストーン氏だ。すっかりこの曲に魅せられた彼はアンコールをせがむ。次はやはりオリジナルでロックンロールのナンバー。これにもストーン氏は打ちのめされた。しばらく雑談した後、再びステージに。次の曲には僕も打ちのめされた。これもオリジナルで題して『Onemore Beer』。拓郎ageの夏のテーマソングににうってつけだ!「この歌、店で歌わせてもらってもいいですか?」「どうぞどうぞ」「じゃあ、掲示板に歌詞とコード、送ってもらってもいいですか?」「うん、いいよ」とのこと。1時間ほどして電車の都合もあるのでそろそろ」と言うので『Onemore Beer』をもう一回歌っていただきデジカメで録画した。歌詞とコードがわかってもメロディを思い出せなくては意味ないからね。

 彼らが帰ってストーン氏も「オイラもそろそろ」と言うので「じゃあ通しでやって今日の練習はお開きにしよう」ということになり続きを始めた頃、また新しいお客さん。「70年代の店ですが」と先刻と同じセリフ。「私は拓郎が好きなんですよ。店の前を通るたびずっと気になっていたので今日、意を決して寄ってみたんだ」とのこと。ストーン氏も再び席に腰をおろす。「昔はギターも弾いたんだけど今はもう全然・・・」と少し寂しそうに言う。「私が高校1年のときに結婚しようよ 旅の宿が大ヒットしてね、みんなギターを弾き始めたもんです。いやぁ、この店は懐かしさがいっぱいだな」。そう言って彼は僕の伴奏で拓郎を3曲ほど歌った。閉めは落陽。拓郎の定番中の定番。ストーン氏もベースで伴奏に加わった。「終電車がもうすぐなので今日は帰るけどまた寄らせてもらうよ」「今度はゆっくり来てくださいね。お待ちしています」。彼を見送り、ストーン氏を見送って時計を見ると23時40分。「もう店、閉めようか」。 かくて拓郎ageの夜は更ける。