マスターの独り言(28)祭りのあと

 『祭りのあと』といえば拓郎の代表作の一つです。この、祭りのあとの寂しさというのは、誰しもしばしば体験しているのではないでしょうか。ドンチャン騒ぎのあとの虚脱感?いやいやドンチャン騒ぎでなくたって、日常の何気ない楽しさにはこの寂しさが裏表のように息を潜めて同居しているのです。

 『フォークの市』が終わりました。明けて定休の日曜日、ヤボ用で店に行きました。見事に「祭りのあと」の寂しさに襲われました。入りきれないお客さんで溢れたにぎわいがまるでウソのような静かさ。ここでみんな、飲んで、歌って盛り上がったんだな、そしてみんなが帰ったあとポツンと取り残された僕とアキ。なんだかムショウに寂しいのであります。こういう寂しさがいくつも積もって、やがて悲しみにかわる。だから人間て、心の底にたえず悲しみを湛えている生き物ではないのか、と思ったりしています。意識されないこの悲しみを「おきざりにした悲しみ」という・・・となにやら哲学めいてきました。しかし、「祭りのあと」から「おきざりにした悲しみは」に至る経緯の、僕の解釈はどんなものでしょう? だから僕はこの二つの歌、『祭りのあと』 『おきざりにした悲しみは』 は二部作だと思っているのです。

 いずれにしても『フォークの市』、毎月第一土曜日の恒例にしたい所存です。大いに盛り上げていただければ店主としてこれに勝る喜びはないのであります。